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Massage from ArCairo

 

― 硬い壁の向こうに見えるもの

なるべく柔軟に、頭は硬くならず...と思っていても考えは凝り固まってゆく。

もしかしたら、マイムに対する考え方も硬くなってしまっているかも知れない。 いや、きっと硬くなってる。

「料理は皿にのっているもの」 そんな当たり前だと思っていたことを「いや、皿は必要か?」と、考えてみるところから始める企画です。

マイムというものは見ている人の記憶や体験を元に視覚的イメージで感覚を呼び起こしたり、違和感を感じさせることで成立している部分が大きいと思う。

極端なことを言うと「カバンが空中で止まる」というパントマイムのスタンダードなテクニックは、

「カバンは勝手に止ったりしない」という経験抜きでは成立しないわけで...。

そんなこと当たり前だと思われるかもしれないが、例えば電話をかけるマイムは電話が生まれる以前の人たちには意味不明だったり、

最近の人たちの前では黒電話のダイヤルを回してコードに指を絡ませるマイムをしても、それが何なのかわからなかったりするんです。

目に見えるものと見えないもの、そして、なぜ、マイムなのか。

 

マイムとは何か。

奇抜で斬新、驚きの結末は用意しません。

でもそこには一つの答えなのか謎なのか...「マイム」が存在するはずです。                                   ArCairo いいむろなおき

 

 

― 灰色の先に

今回興味を持ったのはそのマイムの本質の部分。

これは都市伝説の様に聴いた話なのだけれど、「壁」の概念が無い外国の何処かの部族には、 その共通概念が無いのでそのマイムの「壁」の行為そのものが伝わらなかった、という。 つまり、部族は「壁」なんて物をそもそも建てないから、お前、何を見えない所さすっているんだ、大丈夫か?という話。

我々は「壁」のマイムを「壁」と知っているから、マイム俳優の行う「壁」マイムを「壁」として認識が出来る。

一寸壁壁ややこしいのだけれど。なにも「壁」に限定しなくても良い。

「ドア」だった場合、確かにドアノブ、を回す動きは部族には判らない事もあるかもしれない。

ドアノブ、無いから。

此処で言いたいのは無論世界に於けるドアノブのメジャー感について、ではない。

つまり知らない概念、或いは伝わらない事柄をマイムで描く事は可能なのか、という事。

なので「大人も子供も楽しめるエンターテインメント」としてのマイム、等をやるつもりは無い。

現代にマイムを晒す事で浮かぶ物を見詰めたいし、この2人だからこそ出来る物を思考したい。

優しいいいむろなおきを、期待しないで下さい。                                        ArCairo 長谷川寧

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